2013/08/12

永遠のゼロ 百田尚樹

先日、『風立ちぬ』を観終わった後、そのまま本屋へ向かい『永遠のゼロ』(百田尚樹の大ベスセラーで、2013年6月には売上部数は文庫本で200万部を突破)を手にしました。読み進めて行くと、映画の内容と話の流れが繋がっていて、『風立ちぬ』の題材となった零戦設計士の堀越二郎が汗水流し作った最強の零戦を、『永遠のゼロ』ではそれを操縦する海軍航空兵がテーマになっていました。

風立ちぬ』では零戦設計者の思い、『永遠のゼロ』では零戦操縦士の思い、それぞれがとても巧みに描かれていて、感慨深く読みました。

太平洋戦争で失われた尊い命。神風特攻隊として任命された時、人々は決して狂乱的な愛国心に満ちた、言わばテロリストではなくて、一人の人間として誰もが恐怖を抱く様に、彼ら苦しみ悲しみ、死ぬための攻撃が許されるべきではない事も分かっていた。けれども、そんな意思が許される時代ではなかった。命を重んじ「家族のために、生きて帰るため」に戦った者は、臆病者として扱われた。しかし、それこそ日本が負けた大きな理由でもあった。

国が軍隊の命を守りながらも戦略を立てる米国と、神風の様に命を無惨に扱い、饑餓で死ぬ兵隊を多く出し、国民の命よりも天皇国家を重んじた日本では、根本的なところからして違いがあり過ぎました。貧しい国が、国民に食や医療を施すのではなく、その何十倍もの費用を兵器開発に注いだ。最初から極限が見えていた様な状態。神風特攻隊がその全てを現している様に思います。深い憤りと悲しみを無くしては読めない『永遠のゼロ』。

これは、国民の尊厳を蔑ろにしてまで、国益、地位、名誉を追求する官僚国家に対する怒りと、マスメディアの責任を問うものです。唯一の被爆国であるのにも関わらず、2011.3.11で多くの原発害者を出し、国民の命を守るどころその真相を隠し続ける国家。太平洋戦争以降、国民の生活は豊かにはなったけれども、国家としての精神性はどうだろうか。

命を懸けて、この国を愛する者を守ろうとした人々がいる事を忘れてはならない。国民がいて、国家が存在する。8月15日。もう直ぐ、終戦の日を向かえる。

私達は、幸せにならなければいない。