2009/02/19

カンボジアーポル•ポト革命からの復興

Friends without a borderが運営するカンボジアのアンコール小児病院10周年式祭典のお手伝いをするため、明日からカンボジアへ5日間行って来ます。
カンボジアはアンコール•ワット等の遺跡で認知度も高いと思いますが、同時に、1970年代にポル•ポト(本名:サロット•サル)により僅か人口800万人足らずの小国で、約170万人もの民衆が殺戮された暗黒虐殺革命で多くの人々に衝撃を与えた事でも知られていると思います。原始共産主義を目指し全知全能の一神教の様な支配下に置かれた『組織』を企て、民衆から心の拠り所である「家族」と「仏教」と「土地」を奪い、知識人は皆殺害されました。そして、子供達は幼児の頃から集団子供労働キャンプにいれられ、判断力の無いうちから子供兵士や子供スパイとして訓練され利用されるという残虐な行為が繰り返されました。ポル•ポトの革命は、個人の生命を軽んじた毛沢東革命を再現したものであったりと、借り物の多いレンタル革命であったとされています。中国の毛沢東、ソ連のスターリン、フランス大革命、仇敵のベトナム、北朝鮮などの国々の革命から影響を受け様々なアイデアと施策を借用しているわけですが、ポル•ポトら指導者に行政の能力も経験も欠如していたため、不良のまま強引に進められた計画は、結果大量虐殺という恐ろしい現実を引き起こしたのです。「自主独立偏執病革命」ともいわれる程、カンボジア人の自主独立にかける強い思いから、外国からの援助も拒み、中国から送られてくる援助物資も倉庫にほったらかして腐らせた事が原因で、更に酷い飢餓を引き起こしたと言われています。
政権崩壊から30年後の今月17日よりプノンペン郊外の法廷でポル•ポト裁判の初公判が開廷されました。1998年にポル•ポトは心臓発作(服毒自殺との説も)で罪に問われぬまま亡くなっていますが、この様な恐ろしい歴史を繰り返さないためにも、残虐な行為が解放勢力などと擁護されず、ちゃんと法で裁かれる必要があると思います。
世界の様々な歴史が複雑に絡み合って、今の私たちがいます。現在も多くの人々が苦しんでいるカンボジアは隣の国で起こっている悲劇ではありません。そして、今も一番の犠牲となっているのは無力な子供達ではないでしょうか。お金が無く治療を受けられない子供達を救うべく建てられたのが、アンコール小児病院です。ポル•ポト政権によって医師は殺害され、今も医師不足が続いてます。その、医師の育成にも力を注いでるアンコール小児病院には海外から医師が集まり、病院が自立出来る様にと日々努力してます。この様な現実を見る事は、百聞は一見にしかずと思い、今回のカンボジア行きを決意しました。ポル•ポトの初公判後という事もあり、デモ等起こらないかと緊張は隠せませんが、日本からはFriends without a borderの方々にご同行させて頂くので、足手まといにならない様に気を引き締めて行って来たいと思います。

2009/02/09

4×5




Zone system研究会代表の中島秀雄先生と長野へ日帰り写真撮影。上の写真に写っているのが4×5カメラ。私が愛用しているハッセルブラッドはフィルムが6×6なので、更にフィルムサイズが大きく、写真にも臨場感が出て来ます。私は撮影を行う際、どのようにしたらその場に漂う空気感を写真に写し込めるか、写真を通じて皆様と心の奥深いところでコミュニケーションを出来ればと願い写真を撮ります。今後、少しでも魂に響く様な作品が撮れ、また、作れる様に尽力して行ければと思います。

2009/02/02

My favorite place

                                                                              
                                                                                                    photo by  yukiko
私に日本の美を教えてくれた大切な場所です。もののあはれ、無常観、謙虚な精神を教えてくれた祖父の庭。祖父の手で敷き詰められた石の階段や、春には一面ピンクに染まる花畑。祖母や物理学の教授の叔父と叔母が一つ一つ種を蒔き、生き生きとした様々なお花や梅や桜がその季節になると咲きほこる。 そして、自家栽培も行い、行く度に季節の美味しいお野菜を分けてくれる。
小学生の頃は祖父から平家物語を聞かされ、冒頭箇所を暗唱させられました。
『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる者は久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ』

そして、文学少女だった祖母からは百人一首を読み上げる様に言われ、特に、紀貫之の『人はいさ心もしらずふるさとは花の香ににほひける』(住む人はさあどうか、心は変わってしまったか。それは分からないけれども、古郷では、花が昔のままの香に匂っている)を読む度、お庭で揺れるお花を愛おしく思ったものです。

祖父が筆で『花を愛し 人を愛し 人に愛されよう』と、お庭の木を削り墨で書いたものがあります。短い間の命の中でも見るものに美しい気持ちを与えてくれるお花も、その尊い存在を愛おしむ気持ちがなければ、ただ通り過ぎてしまいます。人も同じで、どんなに素晴らしい人でも思いを交わし合わなければ、本当の良さを知らずに日々が過ぎてしまいます。また、己も人から愛される様に日々精進して行く思いがなければ、花を愛する心も、人を愛する心も育たないと教えてくれました。


どんな時も、どこにいても、ずっと私の心の故郷はここにあります。