2009/03/16
TERIYAKI BOYZ
2009/03/10
2009/03/02
カンボジアから帰国して










カンボジアでの貴重な一週間は、感慨深く実り多い時間となりました。
上の写真の子供達とは、結核病棟の中で出会ったり、田舎の集合住宅地で出会ったり、それぞれが健康や経済的、環境的にも恵まれていない状況下でも、溢れる程の笑顔で私を迎え入れてくれました。心と心の触れ合いを通じて、人が生きて行く上で大切なものは何かを深く感じ、未来を作る全ての子供達の笑顔がどんなに尊いものかを実感しました。
物質に支配されている私達の社会がもう一度思い出さなければならない、命の輝きの素晴らしさ、この時代だからこそ、新しい価値観が必要なのだと思います。
そして、美しく聳える遺跡の中に立つだけで、自然•先祖に対し畏怖の念を感じ人間の力を超えた宇宙観•世界観を描き人々の間に秩序をもたらした古代の人々の祈りを感じる様でした。一度は剥奪されてしまった仏教の宇宙観が、今なおこの国を見守り続け、人々の魂の拠り所として温かく包み込み、また、その事に対して人々が感謝の心を忘れないため、悲しみを乗り越え優しく温和な国民になれるのだと思いました。
現地の人々が自分の貧しい生い立ちから今の生活までの苦労と、今後の夢、世界中を見てみたい思いを伝えてくれ、私の夢の分まで応援してくれたのには思わず涙が出てしまいました。そして、一生懸命勉強をし身丈以上のものは望まない姿勢からは学ぶことばかりでした。世界の人々が一つになる事、苦しみ悲しみを乗り越えて、ただ、皆が一緒に暮らせる事。彼らが輝きに満ち溢れていられるのは、心を失うこと無く常に未来を見つめているからなのだと思いました。
カンボジア小児病院10周年の式祭典では、多くの催し物で来賓の方々を熱くお持て成し、最後は皆が一体となって踊り、本当に未来は変わって行けるのだと信じる事が出来ました。
この様な生涯忘れられない大切な経験をさせてくださった、井津建郎様を始め、Friends without a borderの皆様、病院を支えているお医者様、看護婦さん、スタッフの皆様、本当に本当にありがとうございました。これからも、増々の繁栄を心よりお祈りすると共に、影ながらではありますがサポートをさせて頂ければと思います。
2009/02/19
カンボジアーポル•ポト革命からの復興
Friends without a borderが運営するカンボジアのアンコール小児病院10周年式祭典のお手伝いをするため、明日からカンボジアへ5日間行って来ます。
カンボジアはアンコール•ワット等の遺跡で認知度も高いと思いますが、同時に、1970年代にポル•ポト(本名:サロット•サル)により僅か人口800万人足らずの小国で、約170万人もの民衆が殺戮された暗黒虐殺革命で多くの人々に衝撃を与えた事でも知られていると思います。原始共産主義を目指し全知全能の一神教の様な支配下に置かれた『組織』を企て、民衆から心の拠り所である「家族」と「仏教」と「土地」を奪い、知識人は皆殺害されました。そして、子供達は幼児の頃から集団子供労働キャンプにいれられ、判断力の無いうちから子供兵士や子供スパイとして訓練され利用されるという残虐な行為が繰り返されました。ポル•ポトの革命は、個人の生命を軽んじた毛沢東革命を再現したものであったりと、借り物の多いレンタル革命であったとされています。中国の毛沢東、ソ連のスターリン、フランス大革命、仇敵のベトナム、北朝鮮などの国々の革命から影響を受け様々なアイデアと施策を借用しているわけですが、ポル•ポトら指導者に行政の能力も経験も欠如していたため、不良のまま強引に進められた計画は、結果大量虐殺という恐ろしい現実を引き起こしたのです。「自主独立偏執病革命」ともいわれる程、カンボジア人の自主独立にかける強い思いから、外国からの援助も拒み、中国から送られてくる援助物資も倉庫にほったらかして腐らせた事が原因で、更に酷い飢餓を引き起こしたと言われています。
政権崩壊から30年後の今月17日よりプノンペン郊外の法廷でポル•ポト裁判の初公判が開廷されました。1998年にポル•ポトは心臓発作(服毒自殺との説も)で罪に問われぬまま亡くなっていますが、この様な恐ろしい歴史を繰り返さないためにも、残虐な行為が解放勢力などと擁護されず、ちゃんと法で裁かれる必要があると思います。
世界の様々な歴史が複雑に絡み合って、今の私たちがいます。現在も多くの人々が苦しんでいるカンボジアは隣の国で起こっている悲劇ではありません。そして、今も一番の犠牲となっているのは無力な子供達ではないでしょうか。お金が無く治療を受けられない子供達を救うべく建てられたのが、アンコール小児病院です。ポル•ポト政権によって医師は殺害され、今も医師不足が続いてます。その、医師の育成にも力を注いでるアンコール小児病院には海外から医師が集まり、病院が自立出来る様にと日々努力してます。この様な現実を見る事は、百聞は一見にしかずと思い、今回のカンボジア行きを決意しました。ポル•ポトの初公判後という事もあり、デモ等起こらないかと緊張は隠せませんが、日本からはFriends without a borderの方々にご同行させて頂くので、足手まといにならない様に気を引き締めて行って来たいと思います。
2009/02/09
4×5
2009/02/02
My favorite place


私に日本の美を教えてくれた大切な場所です。もののあはれ、無常観、謙虚な精神を教えてくれた祖父の庭。祖父の手で敷き詰められた石の階段や、春には一面ピンクに染まる花畑。祖母や物理学の教授の叔父と叔母が一つ一つ種を蒔き、生き生きとした様々なお花や梅や桜がその季節になると咲きほこる。 そして、自家栽培も行い、行く度に季節の美味しいお野菜を分けてくれる。
小学生の頃は祖父から平家物語を聞かされ、冒頭箇所を暗唱させられました。
『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる者は久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ』
そして、文学少女だった祖母からは百人一首を読み上げる様に言われ、特に、紀貫之の『人はいさ心もしらずふるさとは花の香ににほひける』(住む人はさあどうか、心は変わってしまったか。それは分からないけれども、古郷では、花が昔のままの香に匂っている)を読む度、お庭で揺れるお花を愛おしく思ったものです。
祖父が筆で『花を愛し 人を愛し 人に愛されよう』と、お庭の木を削り墨で書いたものがあります。短い間の命の中でも見るものに美しい気持ちを与えてくれるお花も、その尊い存在を愛おしむ気持ちがなければ、ただ通り過ぎてしまいます。人も同じで、どんなに素晴らしい人でも思いを交わし合わなければ、本当の良さを知らずに日々が過ぎてしまいます。また、己も人から愛される様に日々精進して行く思いがなければ、花を愛する心も、人を愛する心も育たないと教えてくれました。
どんな時も、どこにいても、ずっと私の心の故郷はここにあります。
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