アメリカ滞在中、幼少期を過ごした思い出の土地で気心許せる友人に囲まれる居心地良さとは別に、日本人として産まれた意味が希薄化されて行く事に恐さを覚え、単一化されたグローバリズムと資本主義の限界の狭間に落っこちてしまった様な感覚になり、日本帰国を考えた時、一番最初に頭をよぎったのは"高野山"でした。高野山と聞くだけで、太古の記憶が細胞から目覚める生々しさが残る聖地を想像するのですが、熊野古道、那智の滝、南方熊楠の発見、紀伊半島のダイナミズムに触れる事で、豊かな自然から日本人として産まれて来た威厳を感じました。高野山の深い雪山の袂を登って行くと、嗅覚に訴えかけてくる神聖な瞬間に歓喜しするのと同時に、襲いかかる数々の矛盾。
その時、飛騨高山の水無神社で行なわれる奉納ライブのお話を頂きました。この時は自曲"Japanese rain"他数曲を歌い演奏させて頂いたのですが、境内へ続く吹き抜けの空間から、星々の輝く闇夜へ音が抜ける感じが、何も無い空白に残響だけが響く、マテリアルに埋め尽くされていない贅沢を肌で感じ、その空白こそ透明で、無色透明な日本人の魂を感じました。それは、西欧文化やアジア大陸文化に慣れ親む中で、窮屈に身を屈め小さく縮こまってしまった、敗戦国日本のお札を貼られた"日本人"が見えた瞬間でもありました。そして、底抜けに深い日本人の血が渦巻き始めた時でもありました。
演奏の他、宮司さんからのご紹介を受け、私の作品の解説も行なわせて頂き、大変貴重な経験をさせて頂きました。
この日、Natural Clinic 21の院長先生より院内に展示する為にと作品をご購入頂きました。
クリニックでは、癌やアトピーと言った治療が困難な病気を自然治癒力を高めながら、病と向き合いそこから学び人格の成長を促すきっかけとして捉え、自然療法•ホリスティック医療•免疫療法を行なっています。そこに、私の作品を展示して頂ける事に感謝して、より制作に精進して行ければと思いました。