Blue展の写真は、昨年ニューヨークのParsonsへ戻った事で、内面の奥深くを掘り下げて、凍り付いた過去を溶かす体験をした事で始まりました。在学中に、友人や祖父の突如とした不幸、事故、病気、そして精神病と、孤独と沈黙の渦に飲み込まれて行った時、祖父の亡骸を写真に納め、暗室の中に籠っては真っ白な紙の上に像を焼き付けられずに、何度も何度も涙を流しては、直接触れられない祖父の姿に、生きる事への空虚感に苛まれていました。けれども、祖父が愛した自然を通じて、祖父の声を聞き、姿を見て、魂と触れ合える喜びを知りました。現実を見たままにしか撮れない写真が無機質なものに感じ、また、ファインダーを通す事で、自分が世界から分離されてしまっている様な感覚になり、しばらく写真を撮る行為を出来ずにいたのですが、音楽という目に見えない世界のものを作る作業を通じて、魂の世界とつながっている事を、拙いながらもその音楽を発表した事で出会う世界の人々との繋がりから学びました。そして、月日が再び流れ、風景を通じて今度は目に見えないスピリットの世界を、大好きだった写真の可能性を信じて撮ろうと思いました。
昨年ニューヨークへ戻ったのは、落とした魂の欠片を探しに行く為でした。通っていた学校に戻る事で、当時の苦しみや悲しみ、それは社会の中で対面した様々な矛盾や葛藤が作品となって表れ、教授からはその思いを作品にする強さを身につけた事に激励して頂きました。
魂の奥深く掘り下げて行ったこの10年で、目に見えない世界、それはご先祖様との繋がりであったり、原始時代との共鳴であったり、次元を超え精神の探求をするために作品を作っているのだと知りました。
今のスピード社会では、速さ、量が物言う時代ですが、「迷わぬ人間に浄化はない」と仏教で言う様に、悲しみを受け入れ乗り越えるために足を止める時だってある。迷いながら時間をかけて人生を考えながら見つけた青、その事により、小さなスペースに集中した密度を作る事が出来たのだと思います。 悲しみや苦しみが複雑で大きい程、時間はかかります。そして、一人で乗り越える強さが持てる時もあれば、他の人や生き物の温もりによって救われる時もある。同じ地球で生きてる者同士、思いは必ず分かち合えるはずです。
氷が溶けて、浄化の水となり、純粋に生きている鼓動に耳をすます。その事で見えて来る新しい未来に思いを馳せて「Blue」と名付けました。植栽は、捨てらていたもの、枯れてしまったものを生ける事で、再生させる意味を込めました。
様々な意味が含まれている「Blue」を通じて、深海に潜る様に内面の奥深くに触れ、魂が浄化されて行く感覚を体験して頂ければと思います。そして、今後も、日常の中、人との出会い、旅や偶然(必然)の中から小さな答えを拾い集めて、自分の色を探して行ければと思います。
感動した、癒された、メッセージが伝わってくる展示だった等、来てくださった方々、通りがかりで入ってくださった方々にその様に言って頂き、本当に嬉しく思いました。作品を通じて深い場所で皆様と繋がって行ける事が幸せです。
お忙しい中、天候の悪い中にも関わらず来てくださった方々、本当にありがとうございました。
お時間がありましたら展示は水曜日迄行なってますので、是非お越しください。そして、これからももっと世界を広げて行ける様に、精進して行ければと思います。
昨年、ニューヨークの教授等から、もっと展示を行いなさいと背中を押された事で、ギャラリーの方と会う様になり、今回の展示に至りました。そして、写真を空間の一部として展示しようと思い、空間を作る実験的な展示をさせて頂いた事で、学ぶ事も多く、次回の糧となりました。固執してしまわずに、明日へと扉を開けて行く勇気を教えてくれる、先生や友人に本当にありがとう。これからも、宜しくお願いします。